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amazarashiを知ったのは2014年の秋。当時、月に一度スペシャが入る日があり、母と嬉々として見ていました。そんな中、母が、「いいなと思える人がいた、見て見なよ。」と見せてくれたのが、amazarashiのもう一度のPVだった。
ヒットチャートのボーカルは声が高い人が多い中で秋田さんの声は低く、尚且つ曲が好みであった。一発で好きになった。そこからYouTubeを見て過去作を見たり、CDレンタルをして母とamazarashiを共有した。ただ、この頃は「うん、好きー。レンタルする程度だけど」程度にライトに活動をしていた。
ブラックに就職をしました。
ノルマはあり、達成できなければ全員の前でDisられる。
月一ぐらいには何かしらの客や内部に罵詈雑言を受ける。
勤務体制が不規則なので睡眠もまともに取れない(辞める前には脈が飛んでたりした)。
等々。あっという間に私は鬱になりました。そんな中、「多数決」の
僕らの価値は数字じゃない
の歌詞にノルマで苦しめられてた私はあっという間に泣いてしまう羽目に。急いで、世界収束二一一六を買いました。タクシードライバーの
途方のない真っ黒が喉につっかえて 吐き出したくないもの吐き出してしまいそうなんだ
は出勤前の私そのものでした。そんな中私は別店舗に移動することに。
罵詈雑言フィーバータイムです。終始Disる人と一緒の長時間勤務に。医者に行き見事に鬱認定されました。そんな中でメッセージボトルがリリースになって、精神安定として聴き込んでました。それでも鬱は収まらない。
例えば、別に死にたい訳ではないが、車に轢かれたら仕事に行かなくてもいい。
結局何を食べても空腹になるなら同じものを食べてもいいじゃないか。と言ってカロリーメイトとウィダーインゼリーみたいなのを勤務の日には食べてた。
おいしいと思ってた一本満足のホワイトチョコが、ある日、おいしくない。
もう、人生の限界を感じた私はせめて、死ぬ前にamazarashiを見ようと思い、たまたま休みの日に仙台でamazarashiのライブがあり、仕事の休憩時間にチケットを取りました。これなら未練はないなと思って決断しました。
チケットの整理番号は後だったが、わりと前の方で見れました。初めて見たamazarashi。仕事で辛かったことを思い出して、一曲目から嗚咽を堪え切れずに終始泣く始末。しかも、秋田さんの顏見れた。うわ、なんてかっこいいんだよ。
完全にオチた。
行く前は、一回行けばいいや。どうせ死ぬし。なんて思ってたが、終わった後には、青森?行きます。行きますとも。となることに。空に歌えばのPV撮影に立ち会えてよかった。
また生きて会いたい、ここで殺されてたまるかというのもあり、死に物狂いで転職をしました。そして、見事に生き延びた私は、己の誕生日に秋田さんの弾き語り、理論武装解除に行き、またしても泣く。最後に流れたワードプロセッサーでとどめを刺された。地方都市のメメントモリも泣く。泣いてばっかだな。顔見えなくてもかっこいいってどういう事なんだよ。グッズも性別問わない感じで好みだし。
ライブに行く度に秋田さんが好きになって行くのが自分でも良く分かった。ただ、これは恋愛感情ではなく、崇拝に近いものだが。ライブで秋田さんが歌詞を間違えたりする時に人間だとよく分かるのと同時に、死に物狂いの歌唱で人の形をした何かではないか?生きるために歌う、命を擦り減らして叫ぶ。歌うことに呪われてるのかなとぶっちぎり中二病解釈。そんな中で武道館に行きました。行く前から死ぬ死ぬと言い、終わってからも死ぬ死ぬとのたうち回る、まさにリビングデッド。
また生きてお会いしたいから私は今日も生きてます。生きる意味どうこうより、今、死ぬ必要性が分からないだけです。